「ねえ、いい加減観念したら?」

「観念って……やだ、むり」





彼の持つトンファーが怖い訳ではない。
攻撃されたことがなければ、それはただの鉄の棒でしかないのだから。
威嚇するように構えられたことはあれど、幼馴染みである風紀委員長に傷つけられたことはなかった。
だから彼のことは怖くないし、畏れてもいない。むしろ好き。
それがどんな意味での好きなのかを理解したのは割と前になる。多分それは向こうも同じだ。
だけどそれを声に出してしまえば、何かが壊れてしまう気がして。……それが、怖い。


幼馴染みって不思議な縁だと思う。

お互いの誕生日も、星座も、血液型も、家族構成も、食の好みも知っている。
幼い頃に好きだったゲームや、好きな動物、好きなテレビだって熟知している。
だけどおかしな事に、異性の好みだけは分からないのだ。
向こうは昔からいろんな女の子にモテてたから、それこそよりどりみどりだったことだろう。
勿論色んな噂が飛び交ったし、本人はそれを否定も肯定もしなかった。わたしも、訊かなかった。
そこまで立ち入っていいものか迷えるくらいに、わたしはそれなりに成熟した子供だった。
そしてそれは、向こうも同じ。
関係が崩れるのを畏れていたわたしに気が付いたのは、恭弥君の方が先だった。
鋭い人だと知っていたけれど、ここまでだったとは。




「――、」
ある日突然廊下で声をかけられて、次の瞬間横にいた友達はダッシュで逃げていて、わたしは捕まった。
高校に入ってからはお互い接触していなかったから、わたしたちの関係はあまり知られていない。
ちなみに逃げた友達も高校で会った子だから、恭弥君が幼馴染みだなんて知らないだろう。

風紀委員長の雲雀恭弥は最凶の不良で、群れることを嫌い、理不尽な暴力を振るう人。
わたしからすればそんなに理不尽な感じはしないけど。殴られてる方に、大抵非がある。恭弥君はそれを言わない。
誤解に誤解を重ねて、幼馴染みは孤高の存在になっていた。
だから特に目立つこともなく、普通に学校に馴染んでいたわたしとの接触は、意外なものだったのだろう。

「どうしたの、珍しいね学校で」
「失礼だな。まあいいや、ちょっと来なよ」

ぐっと腕を掴まれる。何かこれ連行されてるみたいだ。微妙。

「え、ちょっとわたし移動教室」
「応接室にでしょ」
「えええええ、恭弥君理不尽……何そのジャイアニズム」
「何ジャイアニズムって」
「知らないの恭弥君、恭弥君みたいな人のことだよ」

そう言った瞬間に、周囲で聞き耳を立てていたギャラリーが一瞬ざわついた。
あいつかみころされるぞ、いのちしらず、そんな言葉が聞こえる。耳はいいんだ、幸か不幸か。
だけどその予想に反して恭弥君は何それと喉で笑っただけで、特に攻撃してくるようなことはなかった。
こうなるのが分かってたから、わたしも普通に会話できるんだけど。
多分わたしは恭弥君に冗談を冗談として笑ってもらえる、唯一だと思う。
それは、素直に嬉しかった。






そのままわたしは応接室まで引っ張って行かれて、話は冒頭に戻る。
向かい合わせにソファーに座って、何も言わなくても淹れてくれた紅茶を傾けた時だ。
何の脈絡もなく唐突に。
でも観念しろ、の意味、今なら分かってしまうから。
「……むりって何」
「そのまんまだよ。恭弥君わたしの性格知ってるんじゃないの」
そう言えば恭弥君は嘆息してカップを傾けた。相変わらず優雅な人だ。本当に同い年なのか。

「まあ、が素直じゃないのも、甘えられないのも、タフなのに小心なのも分かってるけど」
「言い過ぎ」
「本当のことだろう。……だからって、今僕らいくつだと思ってるの」
「十七だねえ」
「そう。で、いつまで長引かせる気なの」
「んー、そうだなあ、恭弥君から言ってくれるまで、かな」
「生意気」
「なんとでも」
そうすっぱりと言ってカップの淵に口をつける。おいしい。
恭弥君の淹れた紅茶は絶品だから、いつも砂糖やミルクが入れられない。風味が逃げるからね。
息を付いてふと顔を上げると、向かいのソファーに座っていた恭弥君が、わたしの後ろに立っていた。気配でわかる。
お互いの顔が見えないまま、恭弥君はわたしのソファーの背に両手ををついた。
距離が近くなっても、やっぱり顔は見えないまま。お互いの呼吸だけが感じられる空間。


「……咬み殺されたいの、

「できないくせに」

「しないだけさ」


どうして? と訊いて首を捻って後を振り仰げば、思ったよりもずっと近くに恭弥君の顔があった。
「さあ、どうしてだと思う?」
「わかんない」
「嘘つきだね」
「そうだよ。わたし嘘つきで、素直じゃなくて、甘えられなくて、タフなのに小心者なのよ」
知ってるんでしょ、続けると恭弥君はおかしそうに笑った。
「……知ってる。なんなら甘える練習でもしてみたら? ほら、わがまま、言ってみなよ」
「わがまま?」
「うん。仕方ないからきいてあげる。僕に、何して欲しいの?」
誘導尋問みたいだ。

だけどそう簡単にはのってあげないんだ。わたしだって同じくらい、静かに微笑む目の前の男のことは分かっている。
わがまま? 
そんなの言ったって怒らないのも、知ってるんだよ恭弥君。優しいんだもんね、本当は。
でも、今日は。その言葉に乗ってあげる。


「じゃあきいて、わたしの、最初で最後のわがままだから」


言って。

それだけ囁くように言えば、近かった顔の距離が0になる。




道化師の恋

(きみのことが、すきだよ)
20080212