コンピュータルームから出て案内されたのは、屋敷のだいぶ奥まった区画だった。 リボーン君や綱吉が何度もパネルに手を当てては指紋認証をする。連続する機械音に酔いそうだ。 ……ここは「そういう」場所なのだと、嫌でも認識させられる。 それに、だんだんと人通りというか、人気が無くなってきている。 知らず溜息をついてしまったせいか、リボーン君がちらりとこちらを一瞥した。 「おい」 「え?」 「怖くねえのか、お前」 同時に、射抜くような視線。綱吉にも聞かれた気がするなあ、それ。 あの時はまだ詳しいことも何も知らないで、目の前にいる幼馴染みだけを信用して答えたけれど。 今も変わらない。不安ではある。足下が心許なくてどうしようもない。だけど、怖くはない。 「全然」 だからそれだけ言って笑うと、リボーン君は帽子の鍔を細い指で下げて、喉で小さく笑った。 さすがだな、リボーン君の呟きに、視界の端で大人になった幼馴染みが苦笑した。 「おまたせ。ここが俺の執務室ね」 綱吉が振り返って微笑んだ時には、もうどこにいるのかすらわからなくなっていた。 城のような屋敷をずっと進んで、辿り着いたその最奥。迷路か、ここ。 目の前に鎮座するやたらと重そうな豪奢な扉を見つめながら立っていると、気が遠くなりそうだった。 「……とりあえず、迷子センターは無いの?」 顔を引き攣らせて問い掛けると、隣を歩いていた雲雀先輩が一瞬の沈黙の後、俯いて肩を震わせ始めた。 こちらから顔を背けてはいるものの、笑われていることは明白だ。またですか先輩。 「雲雀先輩、わたし本気なんです、切実なんです」 「っ、うんそうだね、」 この人の笑いのツボはいまいちずれていると思う。そういえば昔も、どうでもいいことにウケてたような。 一時は最恐の不良とまで謳われた元風紀委員長を白眼視していると、綱吉が大丈夫だよ、と口を開いた。 「これから案内するけど、基本的にが仕事するのはこの区画なんだ」 「区画って」 「そうだな、このフロアは取りあえず俺達の居住スペースって思えばいいよ。それからそれぞれの執務室」 なんともないように言っているけれど、内容はやたらセレブだ。 ちなみに綱吉の言う俺達っていうのは、つまりボスと幹部のことで、雲雀先輩もその一人らしい。 だけど、ぽっと出の小娘がいきなり幹部棟なんかに入ったら、気分悪くない? 「一緒でいいの? 他の幹部さんとかは気にしない?」 わたしの顔が余程心配そうに見えたのか、綱吉は大丈夫、と安心させるような微笑みを浮かべた。 「そんな顔しなくても、幹部はほとんどの知ってる人達だから」 「でも、」 「」 するりと頬を撫でられて、思わず肩が一瞬跳ねた。 綱吉に触れられることに、違和感も嫌悪感もない。だけど、離れていた間で、何かが変わっていた。 あの頃よりもだいぶ身長差が広がってしまったせいでもある。綱吉の目線は高い。 かつて可愛いと表現できた容貌が、どこか色気を含んだ大人のそれになってしまったせいでもあるかもしれない。 けれどそれとは関係のないところで、なにかが。 「大丈夫って、さっきから言ってるだろ? それに、君の実力ならさっき見せて貰った。十分だよ」 「……うん」 優しく目を細めて、綱吉は笑う。安心できる、大好きな笑顔。 「何かあったらすぐ俺に言えばいいから」 「うん、……ありがとう、綱吉」 どういたしまして、と続けて、綱吉はわたしから手を離してから扉を押し開けた。 そういえば、まだ廊下にいたのだ。 部屋の一番奥には、窓を背にして大きなマホガニーの机と、背の高い革椅子。仕事部屋だと一目でわかる。 その手前に簡単な応接セットが置かれていた。簡単っていっても、品はきっととても良いものなんだろう。 あまりゴテゴテしてる感じもしない、割と簡素な部屋だ。でもセンスは悪くない。 もっとこう、セレブな感じをイメージしていたのに。意外だけど、らしいといえばらしい。 「ああ、うん……あんまり色んなものに囲まれてると落ち着かなくて」 苦笑して頭に手をやる綱吉は、確かに元庶民だ。きっと無理をいってここまで簡素化したんだろうな。 「あ、ちゃんとした来客用の部屋はもっと豪華だよ」 「そうでしょうね……」 そうでないと体裁が保てない。横で嘆息する雲雀先輩達も、同じ事を思っているはずだ。 はあ、ともう一度溜息をつくと、先輩は切り替えが済んだのか、持っていた封筒を机に置いた。 「綱吉、これ報告書。僕は少し寝るよ、忙しかったからね。疲れた」 「わかりました。ゆっくり休んでください恭弥さん」 うん、と頷いて、雲雀先輩はこちらに目を流した。 「、こちらの仕事はまた後日教えるから。とりあえずそれまではこの執務室で補佐してなよ」 「補佐?」 首を傾げたところで、綱吉から「簡単な秘書みたいなものかな」と助けの手が入る。 「え、いきなりそんなこと出来ませんよ、わたし」 「返ってくる報告書をまとめてデータ化すればいいだけ。出来るだろう? 前もやってたし」 「そういう作業苦手な奴が多いんだ、ここ」 困ったように綱吉に言われて、断れるわけないじゃないか。 仕方なく頷くと、ああそれから、と雲雀先輩が続けた。 「僕のことも、名前でいいよ。雲雀先輩って呼ばれると学生時代みたいで気が抜けるんだ」 「……あの頃、気が抜けてたんですか?」 「ほどほどにね」 先輩の言葉に返した返事には呆れが多分に含まれていたけれど、そこにはさして触れられなかった。 それでも言っていることは分からないでもないから是と返す。 「でも先輩っていうのはきっと抜けませんよ」 やっぱり先輩を名前で呼ぶって言うのは畏れ多い気がする。恐るべし恐怖政治という名の刷り込み。笑えない。 「うん、まあいいよ。じゃあがんばってね、色々」 「…………」 色々、を強調してニヤリと笑う先輩から目を逸らして、わたしは応接セットに用意されたノートパソコンを開いた。 「……綱吉、これは?」 「ん? ああ、そっちのファイルと同じ感じでお願い」 「えーと……はいはい、了解」 「順調? 分からなかったら遠慮せずに聞いてね」 「ありがと。うん、今のところは大丈夫」 部屋にはキーボードを叩く音と、万年筆を滑らせる音。 正直、綱吉とこんなビジネスライクな会話をすることになるなんて想像も出来なかった。 この場合すごいのは成長した綱吉なのか、それを育てたリボーン君なのか。どれともどちらもなのか。 妙な感慨に浸りながら暫く作業をしていると、扉が軽くノックされた。 顔を上げると、同時にドアの方を向いて「どうぞ」と呼びかける綱吉の横顔が見える。 これまでに部下の人が入ってきたときも、綱吉はあっさりと入室の許可を出した。 危なくないのかと聞けば、『分かる』から大丈夫、とあっさり返ってきた。 リボーン君曰く、「こいつは特殊だからな」。確かに特殊だ。昔から勘の鋭い所はあったけど。 綱吉の声の直後に、あの重い扉をなんなく開いて(むしろ軽そうに見えた)、背の高い青年がひょいと顔を出した。 「ツナ、ただいま! 交渉成功したぜ」 「おかえり。お疲れさま、大変だったでしょ」 「や、そうでもなかったな。色々ちらつかせはしたけどな?」 肩に掛けた刀の鍔に触れながらどこか黒い笑顔でニヤリと笑った顔には、見覚えがある。ありすぎる。 青年はこちらをふと見て、スーツも着ずに(だって突然だった)書類を捲るわたしに目を見開いた。 「え、お前………マジで? !?」 「やっぱり! 武!?」 思いがけず訪れた再会に彼の方に駆け寄れば、腕を伸ばしてしっかりと抱きしめられた。 「本物のじゃねえか! どうしてここに……うわ、久しぶりだなー!」 「うんうん! 逢えて嬉しい! 武、かっこよくなったね!」 綱吉には気恥ずかしくて言えないことも、武にはさらりと言える。 昔よりもさらに広くなった背中にしがみつくようにして騒いでいると、笑顔を浮かべた綱吉に引きはがされた。 あれ、綱吉、怒ってる? 気のせい? 「おーツナ、悪い悪い」 「綱吉?」 「ん?」 わたしたちのスキンシップは中学の時からこんなだから、お互い特に気にしなかったんだけど。 やっぱり目についちゃうものなんだろうか。いい年してるし。しかも仕事中だし。 「ごめん。うるさかったよね」 「え、あ、いや別に。っていうかそうじゃなくて……」 「ハハハ! 報われねえなあツナ!」 「うるさいよ武」 笑った武の腕を軽く叩いて、綱吉は嘆息しながら机に戻った。やっぱりどことなく機嫌が悪く見える。 ……何かしたっけ? 騒いだ。抱き合った。 でもそれは恋愛感情じゃない。傍目には確かに……ちょっと、そこ誤解されたくないんだけど! 「ねえ綱吉」 「何?」 「知らない? わたしと武、従兄弟なんだよ」 「………は?」 何それ突然、と呟いてぽかんとした綱吉に、武が耐えきれなくなったよう噴き出した。 「おいおい、バラしちゃダメだろ!」 「どうして? あらぬ誤解を生むじゃない」 「それが面白いんじゃねえか、」 「何が面白いの?」 気が付けばすぐ側まで綱吉が戻ってきていて、笑いを納められないまま続けようとした武の肩にぽんと手を置いた。 これは分かる。怒ってる。すこし精悍になった従兄弟の表情が、笑んだまま固まった。 それから、綱吉の黒を通り越していっそ真っ白な笑顔に、喉をひくりとさせて「すみません」と苦笑する。 「武、明日は執務室で書類仕事。提出期限迫ってるの忘れないでね」 「えー……」 「ん?」 「sì、ボス」 苦笑しながら自分より低い位置にある綱吉の頭に軽く手を置いて、武は背筋を伸ばした。 よく分からないけど、取りあえずこれでこの話は終わりなんだろう。 じゃあな、と片手を上げて部屋を出た武の背中を見送ってから、わたしもソファーに向かった。 「……」 「え?」 「武、本当にかっこよくなっただろ? 昔よりさらに」 ぽつりと呟くような綱吉の言葉に、そちらを向く。声の調子はむしろ軽くて、おどけた感じだけど、感情が入っていない。 俯いた視線は書類に落とされているけれど、文章を追ってはいないようだった。 特に怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなさそうだけど、何かの感情を抑えている。 綱吉らしくなくて、嫌だった。 「うん。久しぶりに逢ったけど、前よりもモテてそうだよね」 ふふ、と笑って、だけど綱吉にばれないように手を握りしめる。 「でもね、」 これだけ言うのに、なんて勇気を必要とするんだろう。 言葉を切ったわたしに気づいたのか、綱吉は視線を上げてこちらを見た。目が合う。 ねえ、知らないでしょう? 武にはあっさり言える。だけど、綱吉には簡単には言えない。 綱吉、だからなんだよ。 「……綱吉も、かっこよくなった、よ。すごく」 しっかりと目を見据えたまま、やっとのことで口にする。 顔、赤くないかな。声は上擦ってなかっただろうか。 ゆっくりと驚いたように目を見開いて、それから綱吉が浮かべた微笑みは、今までになく甘くて優しいものだった。 |