――何たって、ボスの恋人ですものね! そんなことを言われた後でまともに仕事が出来るはずもなく、その後の作業は散々だった。 綱吉は書類にインク零すし、わたしはわたしで簡単な計算を間違うし。 おかげでリボーン君がダメツナめ、と自らのボスに拳銃を突き付ける事態にまで陥った。 その動作に殺気はなくて、むしろ愉しそうな感情が見え隠れしていたけれど。 「き、気まずい………」 ぐったりとデスクに伏せて、脱力する。 先週からやっと情報処理の仕事に回してもらったおかげで、ここ一週間は籠もりっぱなしだ。 まあ、でも。それも今の状況から言えば、都合のいいものかもしれない。 データの相談で綱吉と話す機会は、当たり前にある。 そのたびにぎくしゃくとした空気が続くのだから、困ったものだ。 いつもは真っ先に「公私の区別をつけやがれ」と弾丸を放つリボーン君も、何故か沈黙しているし。 ……ちがう。あれは沈黙してるだけじゃなくて、絶対おもしろがってるんだ。 そのせいでこの状態を終わらせてくれる第三者は出現することなく、今に至る。 「どうしろって言うのよ、どうしようもないわよ」 はー。ひとつ溜息をついて、まとめたデータをディスクに移す。 コンピュータをスリープにすると、重い体をおして立ち上がった。落ち込んでいても仕方ない。 こういう時はキッチンに行って、お菓子を作るに限るのだ。 大好きなパティシエ仕事をしているときに、暗い気分は似合わない。 みんなに食べて貰うお菓子に、そんな気持ちを込めちゃだめなんだ。 よし、と自分に気合いを入れつつ食堂に入ると、先客が何人かいた。 その中に見覚えのある顔を見つけると同時に、向こうもこちらに目を向けて――あ、目があった。 「おお、ではないか! 極限に久しぶりだな!」 「了平さん……一昨日会ったばっかり……」 「らー! 菓子作りに来たのか!?」 了平さんはいいとして、後の二人を認識した瞬間、わたしは計らずとも身体を強ばらせた。 千種君と犬君がいるっていうことは、あの、あの男もいるんじゃないのか? 「正解です。さすがですね、見事な観察眼です」 ……いた。しかも背後から声がした。この男、わざわざ気づかれないように回り込んだんだ。 「あの、近寄らないでください視界に入れないでくださいお願いします」 「おやおや、照れ屋さんですねえ」 「凪! 凪はどこ!!」 人の話を聞こうとしない変態を押しのけて(しかもだんだん距離を詰められていた)、声を上げる。 「ここ……」 鈴の鳴るような声で、変態の後からすっと現れたのはわたしの癒し、凪だ。もうこの子可愛すぎる。 わたしは十年前の黒曜事件の折に彼らに遭遇した。 襲われはしなかったけど、千種君に「並盛で一番強い奴はどこ」とひとこと、呟くように訊かれたのだ。 当時は何を言われているのか分からなくて、雲雀さんなら学校じゃない、と答えた気がするけど。 犬君はその隣で、きょろきょろと視線を定まらせることなく辺りを見回していた。 その時は、変わった人たちだとしか思わなかった。名前だって知らなかった。 そしてそんなことがあったのも記憶の彼方に消えようとしていたとき、凪と出逢った。 夕暮れの公園で途方に暮れたように、段ボール箱に入れられた猫の前にしゃがみこんでいたのだ。 雨が降りそうな湿った空気に慌てているのか、時折曇天を見上げては視線を猫に落とす隻眼の少女。 記憶に新しい黒曜の制服に一瞬ぎくりとしてしまったけれど、それでも彼女を怖いとは思わなかった。 『ねえ、その猫、どうするの』 声を掛けたのは、その背中がとても小さく見えてしまったから。実際、小さかったけど。 わたしの言葉に困ったように首を傾げて、どうにもできない、と前置いて、凪はこちらを見上げた。 『今だけでも、……寂しくないようにここにいたいの』 『……そう。寂しい気持ち、分かってあげられるのね』 やさしいこ、と思わず頭を撫でてしまってから、何をしているんだと我に返る。 大して歳は変わらないように見えたけれど、その内面は酷く幼く見えてしまっていたようだ。 凪は――当時はクロームと名乗ったけれど、驚いたように顔を上げて、まっすぐにわたしの目を見た。 それからやわらかく、僅かにだけど口端を上げて、微笑んだ。 六道骸に出逢ったのは、つい最近。ボンゴレに来てから。 夢を見たのだ。夢の中でわたしは、知らない場所にいた。町といえば町だったし、野原と言えば野原だった。 どんな光景だったかも定かではない不思議な場所で、長身にオッドアイの青年は微笑んでいた。 『あなたが、さんですね』 ――誰? 『ああ、失礼。……六道骸、と申します』 ――六道さん? 『どうぞ名前で。今は仕事でフランスにいますが、綱吉君に早めに会っておけと言われていたので』 夢の中まで失礼しました。青年はそう続けてこちらを見つめた。 綱吉を知っているということと親しげなことからして、この人もきっと幹部なんだろう。 『お話通り、可愛らしいお方だ』 ――はあ、どうも。って、え? 話って―… 『クフフ、みなまで言うと上司に怒られてしまいますからね。内緒です』 青年がにこりと笑うと、世界が歪んだ。蜃気楼みたいにぼんやりと霞んで融けていく。 ――え!? 何これ! 『醒めてしまうようですね。もうお帰りなさい。また改めてお話しましょう、』 気がつくと、朝で。わたしはベッドの上に普通に寝ていた。 不安になって綱吉に相談してみても、仕方ないなと苦笑されただけだったし。 そして青年、六道骸との再会は、最低だった。 顔を合わせた瞬間、腰にするりと腕を回して頬に指を這わせてきたのが、夢の中で出会った男だった。 「きゃあ! ちょ、離してください!」 「クフフ、本物はさらに美しいですね。綱吉君もこれまたどうして……」 最後まで言葉を続けることなく、その時一緒にいた綱吉に瞬殺されていたのは記憶に新しい。 美形だとは思うが、中身は非常にいただけない。 「だから! 突然現れるのやめてくださいって言ってるでしょう!」 「すみません。ああ、データの解析出来ました?」 あっさりと話題を変えてくるものだから、こちらが振り回されることがしばしばある。むしろいつもだ。 疲れたように溜息をつく千種君には心底同情する。 「……出来てます。さっき別にしておきましたから、後から届けます」 「ありがとうございます、仕事が早くて助かりますよ」 そう言いながら、骸さんの手が伸びてくる。 何をされるのかと身構えたが、いいこいいこ、小さい子にするみたいに頭を撫でられただけだった。 思わず拍子抜けしてしまって、骸さんをぽかんと見つめる。 「何です、その目は」 「え、あの、だって……」 「――骸。やって良いことと悪いことの区別はつくんだな? 嬉しいよ」 あ。 背中から聞こえてきた声を認識して、目の前の男の行動にも納得する。 一度綱吉に(武曰く本気で)怒られたことは記憶に新しい。だからこそ、これが彼なりの「触れていい」距離。 「綱吉……」 「おやおや、ナイトの登場ですねえ」 クフフ、笑って骸さんは千種君達に向き直った。 「さ、行きますよ。、データはこちらで回収していきます。すぐに解析したい情報がありますし」 「……じゃあまた、」 「わかりました。わたしのデスクの上に置いてあるのでどうぞ。ディスクだからすぐに分かります」 こくんと頷いた凪に手を振って、ゆっくりと後ろに振り向く。 短い会話の間に立ち去っていたなんてことは当然無くて、そこには ボンゴレファミリー十代目ボスが立っていた。 「」 「な……何、どうしたの、そんな真面目な顔して」 「現状を打開しにきたんだ。このままじゃ仕事に身が入らない」 は? 思ったことが顔に出たのか、綱吉はわたしの表情を見て相好を崩した。 だってそんな怖い顔されて、何の話かと思ったのよ。何なの、現状の打開って。 「……えーと、つまり?」 「つまりその、……あの。ああもう、こんなぎくしゃくしてたらキリが無いだろっていう話だよ!」 言い詰まった後は覚悟を決めたように、一気に言われる。 「正直俺はそうするのは嫌だけど、とりあえず今はこの話は流そう。いい?」 「あ、うん」 「……よかった。じゃあ、今日からまたよろしく」 ふわりとした笑顔を浮かべられて、無意識に鼓動が高まる。 わたしだって嫌だ。この状態はもちろん好ましくないけど、こいびとなんだって言われたことを流してしまうのは嫌。 あれ? 綱吉が嫌なのは、どうしてなんだろう。気になっても、怖くて聞けない。 昔からそうだ。綱吉に対しては、変に臆病になってしまう。どこまで踏み込んで良いのかわからないのだ。 踏み込むのが怖い。踏み込まれるのも怖い。 でもそれが、きっと、好きだってことなんだ。 |